
端午の節句(たんごのせっく)とは
昔、中国から伝わってきた厄払いの行事。
男の子の行事として長い間親しまれていますが、
本当は男の子だけじゃなくて、
みんなの行事なんです。
5月5日、「こどもの日」
端午の別名は「菖蒲(しょうぶ)」
みんなが健康にこれからの一年を過ごせるように、昔からの風習なんです。
☆ 端午の節句について
◇中国から伝わった厄払いの行事が奈良時代の日本に伝わりました。
端午の「端」とは「始め」という意味。
「午」は、昔の暦の5月を指す十二支の「午の月(うまのつき)」。
◇日本には、古くから「5月忌み」という神聖な行事がありました。
これは、田植えをする前に、田植えをする若い女性から不浄を避け、心身を清める
という大切なものです。
(田植えは、昔から神聖な行事)
◆5月に行われるこの2つが合わさり、
『端午の節句』のもととなる行事が日本に広まったのです。
……古くからは、邪気を払うための菖蒲(しょうぶ)やヨモギを家に飾っていました。
◇江戸時代になり、『端午の節句』が「男子の節句」とされました。
男の子が立派に育つように、家に男の子が生まれると、
武家の家では『甲冑』や『こいのぼり』が飾られるようになり、
町人の家では『武士人形』や『刀』などを飾り始めました。
◇その後、祝日をつくるときに、5月5日が『こどもの日』として制定されました。
それと同時に、
男の子の健やかな成長と健康を祈る日だった「端午の節句」は、
すべての子どもの日になり、男の子だけでなく、みんなが健康で楽しく過ごせる日になったのです。
☆ プチ情報 ☆
・・・7歳までの子どもは神様からの預かりもの。
という意味で、「お供えもの」などに使われる「共」が「子供」として使われています。
こどもの日は以前、「子供の日」と書き表されていましたが、
「共」という字が、「大人のお供の者」のように、少し嫌な感じだという声があり、
「こどもの日」と表記されるようになりました・・・
☆端午の節句の別名、『菖蒲の節句』
◇「五月忌み」を行っていた頃、貴族の間では『薬玉(くすだま)』という
薬草を丸く固めて飾ったものを、贈り合うという習慣がありました。
◇宮中の貴族たちは、菖蒲の髪飾りをつけて集まり、
天皇から薬玉を貰う行事ができ、あらゆる人の健康を祈りました。
◇その後、鎌倉時代では菖蒲の葉が刀に似ていることと、
その当時の武士、「尚武(しょうぶ)」とも呼び名が一緒なので、
菖蒲の節句/端午の節句を男の子の節句としたのです。
◇男の子の節句となり、飾り物は武士の強さや逞しさ、などを表す
兜や五月人形、こいのぼりを立てるようになりました。
☆端午の節句というと、男の子が元気で健康に過ごせるように、
お家に生まれた男の子をお祝いして、厄がつかないようにしてあげる日。
☆こどもの日というと、子どもたちみんなが元気で楽しく過ごせる、大切な日。
ちょっとした違いがあるんです。
色んな場所で開かれるお祭りもあるし、
兄弟でお祝いをして、ひな祭りと対で楽しく過ごしたり、
美味しいものを食べて着物を着せてもらったり、兜をかぶせてもらったり・・・
親子で楽しく過ごせるひになるといいですね!